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私の父方のおばあちゃんは寅年生まれで、寅子という名前だった。なかなか気の強い人で、近所でも有名な頑固ばあさんだった。高知の田舎に生まれ、近所のお寺の息子と若い時に結婚した。子供を5人養い、田舎の寺を切り盛りしていた。その末っ子が私の父。
夫(=私のおじいちゃん)は住職であり、真言宗の布教師で、全国をあちこち飛び回っていた。実質的に田舎寺を守っていたのはおばあちゃんだった。一人で子供を養い、家(ましてや寺)を切り盛りするには、強気でなければ無理だったであろう。
おじいちゃんは60歳過ぎで、布教先の新潟で亡くなった。ある意味、素晴らしい死に方だと思う。私の母が嫁いだのはその後だ。だから母も私もおじいちゃんを知らない。
おばあちゃんは畑仕事が好きで、内職で「蚕」を飼い、絹糸を取り、男勝りに働く人だった。夏場は蚕の餌の桑の葉を採りに、毎日裏山に行った。私は、母が背負う大きな竹の籠に入れられて連れて行かれた。母たちが山で桑の葉を採っている間に私の腕や足には蚊がたかっていた・・・と、母は今でも笑いながら言う。
私が思うおばあちゃんはいつも汗をかいていた。畑でキュウリ、ナス、カボチャ、スイカ、トウモロコシ、マメ、イモ、色んな物を作り、いつも夕暮れまで働いていた。
その後気持ち良さそうにお風呂に入り、寝る前は必ず「背中がかゆい」と言って私に背中をかかすのだった。
『秋の夕焼け、鎌を研ぐ』……おばあちゃんが亡くなってから色んな人にこの言葉を知ってるか尋ねたが、誰も知らなかった。もしかするとおばあちゃんの創作かもしれない。意味は「秋の夕焼けは次の日が必ず晴れるから、今日の内に鎌を砥いでおけ」というものらしい。畑仕事が終わり、後片付けをしているおばあちゃんの側でよく聞いた言葉だ。あれは秋だったのだろう。
口もなかなか達者な人で、母にもかなりきつい事(つまり意地の悪い事!)を言っていた。何につけても文句を言う人で、父とも、父の姉妹とも良く喧嘩をしていた。とにかく気の強い人だった。だから近所の人はみんな母の味方だった。今思えば、そのおかげで母は幾分救われていたであろう。
そんなおばあちゃんも晩年は「老人性痴呆症」になり食事をしたかどうかも分からなくなって、近所の人に「うちの嫁は飯も食わさん!」などと言うようになった。私と居ても自分の娘の名前を呼んだり、夜中に徘徊したり、有らぬ方向を見つめて「あそこに誰か居る」と言ったり、それは徐々に悪化していった。母は、おばあちゃんが夜中に起きだして何処かに行ってしまうので、紐で手をつないで同じ部屋で寝ていた。
おとなしく寝ていると思って寝付き、夜中に気配で目が覚めると、母の顔をじっと覗き込んでいる事がしばしばあったそうだ。
父の姉妹は母の看病の仕方が気に入らないらしく、「自分が世話をしたい」と言っては連れていき、手におえず、また家に返すのだった。
そうしているうちに状況は悪くなり入院し、病院で亡くなった。確か79歳だったと思う。これが私がはじめて体験した身内の死だった。私は中学2年生だった。
お正月などに実家に帰ると今でもおばあちゃんの話が出る。「意地の悪いこと言う人じゃったがねぇ」とか言う話になる。でも決まって最後に母が言う言葉は・・・「けんど、可愛らしいところもあったでぇ」。
思い出っていうのはそんなもんなんかなぁ。
今でも母はおばあちゃんに習った通りに奈良漬を漬けている。
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な〜んか、綺麗な話にしてしまって、ちょっといかんかなぁ。
とりあえずおばあちゃんの話を書きたかったのです。
11月に初めて高知ライブをした時、父が、「お前はおじいちゃんにそっくりじゃ。おじいちゃんも手を振り上げながら説教をする人じゃった。」と言った。私はおじいちゃんを知らない。だから見た事がない。でも似てるらしい。これ如何に? やっぱり血は争そえんと言う事か? ほな、私は歌う布教師か? さもありなん。んん............。
どうやら、父からおじいちゃんの話を聞いたからこの話を書く気になったようです。
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今年も宜しく!
生ジュンを聴きにきてください。
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