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先日、お江戸で落語を聴いてきた。
聴いてきたというよりは見たと言う方が近いかもしれない。場所は浅草鈴本亭。寄席のほぼ初っ端から3時間ほど。日曜日という事もあってか、結構いっぱい。寄席を聴きながら皆お弁当(幕の内…これが粋だねえ)を食べている。一人で来ている人も少なくない。
落語は好きなのだが、こういう風に聴いた事のない人を寄席で何人も聴くというのは初て。面白い。実に面白い。一人15分ほどの持ち時間らしい。やはり、一人一人進んでいくにしたがって聴き応えが増してくる。中入り後は一人の持ち時間も長い。成る程、成る程、そういう風になってるんや。中入り後はテレビで見たことのある人が多い。中入り後に出るようになるまで、どれだけの修行を積んでいくのだろうか?彼らにとって、ここは修行(経験)を積むステージなのだろう。
『経験』…それの重大さ、偉大さに最近気付いた。
今頃気付くなんて遅すぎるかもしれないが、実際、経験というものが如何に大事か分かっていなかった。
最近、「今、私は経験を積んでいるんだ」と思うことが多い。今までに起こらなかったこと、今まで考えても見なかったこと、それら全てが経験なんだ。それをいつの間にか自分の中の情報として取り入れて、前進していくんだと思う。前進していくために必要なんだと思う。
寄席の舞台は、私が歌うステージと同じだ。たぶん初めてあそこに立つ、いや、座るのは恐ろしいに違いない。彼らには、一緒にステージに立ってくれる仲間もいない。一人だ。イントロもない。間奏もない。エンディングもつけてくれない。全て自分一人にかかっている。自分の口が動かなければ全ては終わり。台詞が思い出せなければ全てが終わり。それを、『経験』が教えてくれる。助けてくれる。
寄席に行って、まず耳に付いたのがお弁当を開ける紙の音。ガサガサ…。ゴムの音。パチン。席には小さなテーブルもついていて、売店ではお弁当も売ってるから仕方ないかもしれないが、もう少し気を使って聴いても良いのに…と思っていた。でもそこを出る頃、考えが変わった。あれはある意味、試練だ。12時から始まる寄席は、始めは経験をまだまだ積まなければいけない落語家の時間。お昼時だ。中入りの頃にはそのお弁当の音もなくなっている。つまり、それを辛いと思うなら、お昼時を抜け出せる落語家になるしかない。経験して進むしかないんだ。それに気付いた時はちょっと感動した。
「慣れ」と「経験」は違うと思う。
色んな状況に慣れていかないといけないが、慣れすぎると前に進めない。
「経験」とは、かつて体験した事だ。
うん。 やっぱり、前進あるのみ。
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いつも長い文章を読んでくださってありがとう。
今月は2ヵ月分のため、一層長くなってしまいました。
落語を聴いて「やっぱり生やねえ〜」と思いましたが、音楽も同じ。
是非、生のライブを聴きに来てください。
みなさんへ
つれづれなるままに 日暮らし 心に映りゆく 良し無し事を…
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